Saturday, June 10, 2006

引用の引用

ほぼ日刊イトイ新聞、「おとなの小論文教室。」第八回より抜粋。

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太田光「天下御免の向こう見ず」
『TV Bros.』(東京ニュース通信社)より抜粋。
文中の省略は山田

「(前略)自分の漫才は風刺ではないし、
 社会批判でもない。
 何のメッセージも意味も無い、単なる"笑い"
 そう言いながらふと思った。
 少年達の起こす、"理由の無い殺人"に
 何処か似ているかもしれない。
 
 (略)
 
 私たちは、意味は解るがつまらないものよりも、
 意味は解らないが面白いものを目指すようになった。
 しかし、実は、このシュールほど、
 表現の仕方によっては単純でつまらない、
 自己満足な表現に陥りやすいものはない。
 よほどの表現力と技術が無ければ、
 何も人に伝わらないのだ。
 (略)
 
 正確に言うと意味が無い訳ではない。
 伝えたいメッセージが一言で言えるような
 単純な事ではなく、言葉では表現出来ないような
 複雑な感覚であるという事だ。
 その感覚を正確に人に伝える為には、
 自分の中の漠然とした複雑な感覚を誰にでも
 解る具体的な"見えるもの"に変える作業が必要で、
 それが、芸だと私は思っている。
 
 (略)
 
 少年達は、自己表現のつもりで、犯罪を犯している。
 彼等は意味もなく人を殺す事を刺激的な
 表現だと思っている。
 私には彼等が幼稚で、未熟な表現者に見えて仕方がない。
 
 (略)
 
 人々が見るのは、彼等が起こした事件であって、
 少年自身ではない。
 彼等は自分の表現によって、
 自分の存在を無視される事になったのだ。
 人間の中の複雑な感覚や思いは、単純な表現方法では、
 人に伝える事は出来ない。
 少年達は、"表現する"という事を甘く見ている為に、
 何も伝えられずにいる。」

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その後「人間関係における自己表現の重要性」に話題が続く。
(ファンとスターの関係を例にとりあげて)ある人と仲良くなりたいのならば、その人を好きだと伝える前に、自分がどういう人間かをまず(どんな形式であれ)知ってもらうことが必要だと、述べている。
僕が魅力的だと思う人はなぜ魅力的なのだろうか。
それは彼らが行う表現(太田の言葉でいうところの磨かれた芸)が僕の興味をそそり、僕が自然と受け取っているからだ。
磨かれた芸でもって表された成果物は、客観性を多分に含み、より多くの人が受け取りやすい。
成果物は数学の公式のように正確に伝わる必要があるときもあれば、音楽や美術のようにいろいろな意味にとれるように伝えたほうがいい場合もある。

人と人のコミュニケーションでは、いったいどんな表現が求められているのだろうか。
一つ一つは正確に伝わる必要はない、集合としてある「人となり」が伝わればよい。
受け取る側がまとまりとして、私のアイデンティティを繋ぎ止めやすければ、ある意味では円滑であろう。

2 comments:

Anonymous said...

はろー。
おひさ。

少年犯罪は「幼稚」ではあるが「表現」というのは疑問。
おそらく起こった現場は事件的であり、表現というヒエラルキーのあるような言葉(コミュニケーションを前提とした「表現」であっても)では言い切れないのではないか。
メディアに乗って客体化された出来事を見る側から見た際、と言うよりも、底なしの人間性を「表現」や「芸術」、「コミュニケーション」などの言葉で蓋を閉めるのは逆に危険なのではないか。
と同時に「表現」の問題でもある。

da!da!da!datech! said...

おー久しぶりーパーティーお疲れさま!
筑波にいたら、行きたかった。

少年(に限らず)犯罪は表現なのだろうか。
「表現」の定義を今一度考える必要が出てくる。
表現とは「コミュニケーションをするために外に表れたもの」である、として、その現象が意図的でない場合も含めるかどうかは重要な問題だ。
太田は、「無自覚的であってもその人が外に発してしまうもの」と「意図して行う表現活動」を隣同士並べている。このことが違和感を生じさせる。表現は意図的であることが必要なのだろうか。たとえば、一部のアウトサイダーアートの作者は発表する意志がなく、作品自体も出てきてしまったという傾向が見られ、これを表現というのであれば、どうしようもなくやってしまった犯罪も表現といえる。のか?両者は迷惑かけるか否かの違いだけ??まとまらないーー

誤解を恐れずにいうなら(少年犯罪をたたえるわけではないけど)サカキバラも、バスジャックにも、共通してクリエイティブな一面はあると思うんだよねーだって普通の少年はできんよね、いや普通はせんけど、計画やら実行やらは結構難度が高い。実際超えなきゃ行けない問題がたくさんあるし。超えちゃいけないところを超えてしまったという意味でも。

でも実際、僕がこの記事を書いたのは、太田の発言の観点に何かひっかかったのと、ほぼ日で山田さんが書いていた部分読んで、もうちょと思っていること発言したり、示したりということをいろんな場所でしていかなきゃなーと覚え書きしたかっただけです。

いやー表現が稚拙で申し訳ない。。