tag:blogger.com,1999:blog-16824948.post114990024873435547..comments2023-09-26T23:23:05.416+09:00Comments on datelog: 引用の引用da!da!da!datech!http://www.blogger.com/profile/03470914510556681090noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-16824948.post-1150068036929507242006-06-12T08:20:00.000+09:002006-06-12T08:20:00.000+09:00おー久しぶりーパーティーお疲れさま!筑波にいたら、行きたかった。少年(に限らず)犯罪は表現なのだろう...おー久しぶりーパーティーお疲れさま!<BR/>筑波にいたら、行きたかった。<BR/><BR/>少年(に限らず)犯罪は表現なのだろうか。<BR/>「表現」の定義を今一度考える必要が出てくる。<BR/>表現とは「コミュニケーションをするために外に表れたもの」である、として、その現象が意図的でない場合も含めるかどうかは重要な問題だ。<BR/>太田は、「無自覚的であってもその人が外に発してしまうもの」と「意図して行う表現活動」を隣同士並べている。このことが違和感を生じさせる。表現は意図的であることが必要なのだろうか。たとえば、一部のアウトサイダーアートの作者は発表する意志がなく、作品自体も出てきてしまったという傾向が見られ、これを表現というのであれば、どうしようもなくやってしまった犯罪も表現といえる。のか?両者は迷惑かけるか否かの違いだけ??まとまらないーー<BR/><BR/>誤解を恐れずにいうなら(少年犯罪をたたえるわけではないけど)サカキバラも、バスジャックにも、共通してクリエイティブな一面はあると思うんだよねーだって普通の少年はできんよね、いや普通はせんけど、計画やら実行やらは結構難度が高い。実際超えなきゃ行けない問題がたくさんあるし。超えちゃいけないところを超えてしまったという意味でも。<BR/><BR/>でも実際、僕がこの記事を書いたのは、太田の発言の観点に何かひっかかったのと、ほぼ日で山田さんが書いていた部分読んで、もうちょと思っていること発言したり、示したりということをいろんな場所でしていかなきゃなーと覚え書きしたかっただけです。<BR/><BR/>いやー表現が稚拙で申し訳ない。。da!da!da!datech!https://www.blogger.com/profile/03470914510556681090noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-16824948.post-1150053247095601672006-06-12T04:14:00.000+09:002006-06-12T04:14:00.000+09:00はろー。おひさ。少年犯罪は「幼稚」ではあるが「表現」というのは疑問。おそらく起こった現場は事件的であ...はろー。<BR/>おひさ。<BR/><BR/>少年犯罪は「幼稚」ではあるが「表現」というのは疑問。<BR/>おそらく起こった現場は事件的であり、表現というヒエラルキーのあるような言葉(コミュニケーションを前提とした「表現」であっても)では言い切れないのではないか。<BR/>メディアに乗って客体化された出来事を見る側から見た際、と言うよりも、底なしの人間性を「表現」や「芸術」、「コミュニケーション」などの言葉で蓋を閉めるのは逆に危険なのではないか。<BR/>と同時に「表現」の問題でもある。Anonymousnoreply@blogger.com