Sunday, November 17, 2013

ALS(筋萎縮症側索硬化症)

昔、マッキャンエリクソンという広告代理店でインターンさせてもらったことがあります。
2週間だけだったけど、職場の人達は才気ありつつ、フランクで超よくしてくれました。
デザイナー目指して踏ん張ってた学生の時分、非常によい時間を過ごさせてもらいました。
私は直接は会ったことは無かったけど、藤田ヒロさんという社員が2010年にALSに罹患されたそうです。
去年ぐらいから知ってはいたけど、今日しばらくぶりにみてみたら、すごいコンテンツになっていた。

http://end-als.com/

死と常に隣り合って生きている人の生き様。
ALSは脊髄の運動神経が変性して筋肉を動かせなっていく病気で、
何もしなければ、呼吸不全で死ぬ。
気管切開をして、人工呼吸器をつければしばらくは生きていけるが、
今度は死ぬことが選択できなくなってしまう。(日本の法律の問題で)
「そのため約70%のALS患者は気管切開をしないで「死」を選ぶ。
恐怖はもちろん、周りへの金銭的、精神的、身体的な負担・迷惑を恐れて」とのこと。
日々のあらゆる事象(多くは生き死に関わる問題)に藤田さんが真摯に向き合っている姿に心打たれます。
クリエイティブな働きが、その人の生き様を、ALSという病気を、こんなにも印象的に伝えられているということに感動しました。
そして、この病気は発症原因不明で、いつ誰がなってもおかしくない。
私が発症したらどう生きるか。
この問題は全ての人に向けられているものだと思う。

Saturday, August 24, 2013

出産について

もう7ヶ月以上も前のことになるけど、我が家で2人目の子が産まれた。
その時のことはすごく印象深くて、すぐに書こうと思ったけど、
まとまって書くには忙しすぎて、やっと、いま。

1人目のときは陣痛がきて、分娩の段階で突然、帝王切開に切り替えられてしまい、
嫁は、そのことをすごく悔しがっていた。
後から気づいたことだが、嫁は自然出産への思いが人一倍強い人だった。
「自然分娩できなかった」ということを僕はきちんと理解していなかった。
嫁の思いの大きさ、深さが肌身に感じてわからないというか、
腑に落ちてその辛さを想像することがすごく難しかった。
おんちゃんは今や元気すぎるほど、のびのび育ってくれているので、
そんなことは吹き飛ぶぐらい幸せなのだけど。

1人目のときに帝王切開をすると、その後の出産はずっと帝王切開しなければいけない、らしい。
単純に1度目の縫合箇所において、2人目の分娩時に圧力が強いと子宮が裂けて、
出血による母体へのリスクが大きいというのが原因であるらしかった。
皮膚まで裂ければわかるけど、気付かずに子宮だけ裂けてて、
町の産婦人科から大学病院への搬送が間に合わず出血多量で死ぬ、
というケースが多いらしく、裁判になることが多いようだ。
そのリスクを避けるために、帝王切開の人はその後の出産も、し続けるというのが基本原則。

ということがあって、2人目も帝王切開なんだ、ということを
嫁から教えてもらっていた。もう妊娠6ヶ月ぐらい...
僕も嫁も自然分娩できることならしたいが、リスクを犯してまで、
わざわざ病院を探してまで、することじゃないよね、といったスタンス。
ただあるとき、嫁は公園でたまたま、1人目帝王切開、2人目自然分娩という人に出会った。
その人は、一生懸命、あちこち連絡とりまくって、それが可能な先生をやっと探し出して、見事、成功させたという。
なんと、すごい偶然なことにその先生は、いま嫁が見てもらっている先生であるらしい!!
嫁から先生に相談してみると、大丈夫ですよ、という言葉。
ただ、最終判断は旦那も一緒にということで、僕も診察についていった。

先生「奥さんにも話したとおり、基本大丈夫なんだけど、1万分の1くらいの確率で子宮裂けて、
奥さん死ぬことがあるから、その覚悟はしておいてくださいね。
僕も大学病院にいたときに後輩の病院からの搬送途中で亡くなった人がいて、
裁判になったことがあって。きちんと説明しなくてはいけませんから。決めるのはあなたたちです。」
僕「・・・」
先生「大丈夫ですか?」
嫁「・・はい(泣)」

僕は診察を終えて、帝王切開をするべきだと強く思った。
出産でギャンブルしてはいけないと。たとえ、1万分の9999で勝つとしても。
現在、選択しうるもっとも安全な方法で産むべきだと。
たとえ1万分の1でも嫁が死ぬかもしれないリスクがあるなら、
それは避けるべきだと。
嫁は「自然分娩をしたい思い」と「万が一(文字の通り)のリスク」とで
ずっと揺れていた。悩んでいた。
何度も話し合うけど、その度に涙してしまう嫁の思いが痛かった。
結局、嫁も帝王切開で産むことに賛同してくれて、
その結果を先生に伝えに行った。。。

無事に2人目の子供も産まれてきてくれて、今も元気に育ってくれている。
嫁が果たしたかった自然分娩は、叶えられなかったけど、
やはり出産という人の命が2つもかかっている儀式で賭け事をしてはいけない。
それはいまでも間違っていないと思っている。
自らの思いを抑え、自らの身を切られ、安全な出産を選んでくれた嫁、ありがとう。
尊敬しています。子供らをおもいっきり伸び伸び育てていきましょう。
ありがとう。


と、なると思っていた。でも、そうはならなかった。
いまのは嘘です。ごめんなさい。
現実には、僕らの結論を伝えたときの先生とのやりとりはこうだった


嫁「やっぱり、帝王切開でお願いしようと思います、、、リスクをかんが、、、」
先生「(食い気味に)ええ?なんでー!?自然分娩しましょうよ。前回の話でびびっちゃったのかな。ごめんなさいね。後輩の例も、搬送までに数時間もかかってしまったから、起きてしまったけど、僕はそういう難しいのを扱ってきた側の人だから、多分大丈夫だと思います。あなたの(自然分娩をしたいという)思いは強く伝わってきます。大丈夫です。がんばりましょう。」
僕「・・・・」
嫁「泣」


ということで、僕にとっても嫁にとっても初めての自然出産。
横にいて、手を握って、身体をさすってあげて、言葉をかけてあげて、
ぐらいしかできなかった。
人間の叫びをみたというか、人はこんな風にもなれるものか、というぐらい、
狂気と正常をさまよう感じというか、
なんというか神聖なものと向き合っている時間だった。
かなりきつくなった陣痛の中、声震わせながら「たのしみだなー」と苦しそうに笑っていた。
このときの顔は一生忘れないでしょう。
嫁はすごくがんばった。
そして、何事もなく、無事に、元気な男の子が産まれた。



名前は窓太。
風通しよく、伸び伸び育ってほしいということで。
もう7ヶ月にもなるけど、必死に歩こうとして、食べようとしてて、
すごく元気です。



今回の出産を過ぎてぼんやり次の2つのことを考える。


1.知らないうちに、すごい選択をしながら生きている
先生から提示された「1万分の1で死ぬかもしれない」という確率。
そのカードをだされたときに、最も安全な手段を選ぶことしか頭に浮かばなかった。
それは同時に嫁の幸福を奪うことになる。うーん、悩む。。。
でも、そんな問題以前に、高齢出産(まだ30そこらですが)による
胎児の染色体異常(ダウン症など)も覚悟して選択していたことに気付く。
http://goo.gl/fVPgz
30歳で1,000分の1、40歳で100分の1。
高齢の夫婦ではすでに子供がいると、このことを考えて、
もう産まない、という選択をする、ということを知って、びっくりした。
20歳を超えて、毎日、妊娠をしない生活を送ることは、
同時に、その覚悟も、重い選択をも、していってるということになる、
ということに気づいてひどく驚いてしまった。
交通事故で死ぬ確率は1万分の1、だけれども、僕は今日も車に乗っている。
震災のときにも似たようなことを考えていた。
常に安全でありたいが、幸福はそれとは関係なく常に自律的に飛び回る。
そのせめぎ合いが、、、選択の連続が、、、、「私が生きている」ということなのだと思う。
リスクやストレスとどのようにやりあっていくのか、は、その人の人生を大きく決定づける。


2.僕は何も判断できない
最近当たり前になりつつある、セカンドオピニオンとかEBM(根拠に基づいた医療(Evidence-based medicine))。
でも結局は一番、人体をわかりきってるお医者さんのいうことを聞くのがいい。
Webで調べたり、複数の医者から話を聞くこともできるけど、
最後には、私が一番安全だと信じれる話を選ぶ。
僕は体系的に人体を理解していないし、医学的な知識も経験もズブの素人だから、自信をもって判断することができない。
もし、助かる可能性が一番高い、つまり、医学的に正しい判断をしたいのであれば、
それは自分でなく、信頼できる(これもまた選択なのだが)医者にしてもらうのが一番。
だから、根拠を揃えて、患者が自分で決める、みたいに流れていくと
ちょっとそれは違うんじゃないかと僕には思える。
これはわかりにくい言い方だけれど、
結局は物語(本当はそうであるかわからない話)の総和でしかなくて、
ヒトは、一番信じられる、かつ、多くの人が信じられる、筋道に対して、
「真実」と呼んでいる。
今回、嫁に相談されても、医者の話を聞いても、結局はいつもわからず、
建設的なこと、本質的なことは何一つ言えなかった。
「低リスクでいこう」と、強く信じていたことも、
嫁の思いとか先生の医学以外のパワーとかそういう部分を
全然掴めていなかったな、と、今になると思う。
「医学的に正しいことが、本当は正しくないかもしれない。」
信じてた根本が揺らぐ体験をしたというか。
それでも低リスクの論理は生きる上で大事な考え方だ。
とにかく、情けないぐらいに何も判断できなかった。
本質的に、僕が入る隙がなかった。情けない。

以上です。

Saturday, July 13, 2013

手塚治虫の言葉


「ぼくは医者だったもんだから、医者の漫画をいくつか描いていて、その中でも『ブラック・ジャック』が好きですね。

医者をめざす若い人たちは、医学のためとか、人間のためとかいうふうに考える人が多いと思う。

でも、それだけですむのだろうか。

いま、日本人の平均年齢があがって高齢化社会になっています。

つまり、お年寄りがふえて、二十一世紀になると四分の一は、七十歳以上の老人になってしまう。

寝たきりの人とか、ボケ老人がふえてきて、そういうふうになってまでも、医者は患者を助けなければならないのか、という疑問をもつ時代が来ると思う。

二十一世紀になると、医者がなんでもかんでも全部治してしまう。

癌が治るようになる。

人工心臓とか、臓器移植とかで、みんな治してしまう。

治らないのは脳出血ぐらいだということになってしまう。


ブラック・ジャックがいつも悩んでいるのは、

「医者というのは人を助けるのが目的なのだが、助けてしまったら人がふえて、人類は不幸になるのではないか。

といって、助けないで、ほったらかしておくと、医者としては目的と反する」

ということです。

そこらへんの間で、どうしたらいいかわからなくなっている。

で、結局ブラック・ジャックが最終的にたどりつくのは『火の鳥』の世界のテーマなんです。

つまり、どんな生物でも、命というのは限られていて、それ以上どんなに延ばそうとしても、もう生物的には不可能。

たとえば、人間の体全体を治せたとして も、脳味噌だけは取り替えがきかない。

どんなに延ばしたとしても百五十歳以上は、もう完全な肉体としてもたないんですね。

で、その百五十歳なら、百五十歳 までの間、いかに満足した一生を送れるかということは、永遠の命と等価なんです。

だから、限られた生命の中で、精一杯生きることができるようにしむけてやることが、医者の目的ではないか、とブラック・ジャックは悟るわけ。

『火の鳥』というのは永遠の命を持っているので、みんなも永遠の命をもらおうとして火の鳥の血をとろうとするんだけど、

火の鳥は逆に諭して、あなたはこ れだけの命があれば十分じゃないですか、アリとかカゲロウなんてのは、一夏の命しかないのに、それでも精一杯生きているじゃないですか、ということを言ってやるんです。

それが僕の人生観でもあるんです。

ぼくの生き方なんです。

だから、そういうテーマが、ぼくの作品には多いんですね」   


引用元:(手塚治虫:マガジンハウス)

Thursday, March 07, 2013

早川義夫「たましいの場所」

早川義夫の「たましいの場所」を読んだ。
早川義夫は歌手だけど、僕はまだ歌を聞いたことない。
本はとてもよかったが、なぜかCDを積極的に聞きたいとは思わなかった。
持っている人がいたら誰か貸してください。
誰もが思っているが言われることがないようなこと、
を、しれっと書いてあるのがいいです。

以下引用 

鏡をみるとすぐバレてしまうが、僕は、45歳ではなく、僕は中学生でもあり、僕は18歳でもあるのだと思うようになった。この歳になってはじめてわかったことなのだが、変わったのは見ためだけであり、考え方、感じ方は、何一つ変わっていない。成長もなければ退化もない。常識とか体裁などをいっさい気にしなければ、頭の中、心の中は、誰もが中学生であり、18歳であるのだ。

 外山滋比古『新しいつもりでかいたところから文章は古くなる。腐り出す。古いものはもう古くならないが、新しいものはどんどん年をとる。大工は生木で家を建てない。正確な文章を書こうとしたら、多少、保守的にする覚悟がいる。』

たとえば、よい文章とは、『 「1. 自分にしか書けないことを 2. だれにもわかるように書く」(梅田卓夫『文章表現400字からのレッスン』)』なんて、いいなーと思う。

歌がうまいとか、演奏がうまいとか、踊りがうまいとかいうのは、本当は、良くないことなのではないだろうか。それは、歌がへた、演奏がへた、何々がへたというのと同じくらい、いや、もしかしたら、それ以上に、つまらないことなのではないだろうか。もちろん、うまくたってかまわない。うまいに越したことはない。けれど、うまさを感じさせてしまっては、それだけに目がいってしまうようでは、失敗である。音楽は、うまさやへたさを伝えたいわけではないからだ。肝心なのは何を歌おうとしているか、何を伝えようとしているかだ。その歌い手の、愛とか、願いとか、祈りのようなものが、感じられるかどうかだ。

  http://astore.amazon.co.jp/takao11sep-22

Monday, February 06, 2012

展示をみにいった








同僚の同居人がその住居で展示をしていて、見に行ってきた。
ドローイング。
こたつの上に置いてあった100枚ぐらい原画が入っているファイルが、よかった。
ずっと前に聞いた話で、山口晃さんがこんなことをいっていたらしい、
「最初にちょろっと描いたやつが一番よくて、仕上げる作品は絶対にそれを超えられないんだよね」と。
その最初のちょろっとが延々続いていく感じ。
鉛筆もアクリルもクレヨンも素材感が気持ちいいです。

椿原正洋 個展
http://www.tsubakihara.net/index.html

Monday, September 26, 2011

アプリがでたというので

ブロガーのアプリがでたというので、テスト投稿。
いま銀座のBERNINIというイタリアンにきている。
内装いいですね。内装のいい店はどこ撮っても絵になる感じがする。
なるほど、インテリアよくするためには写真栄えしそうなシーンを作っていけばいいのか。
値段が安けりゃ毎日通うのだけどな。客がきすぎても困るのだろう…

Wednesday, July 20, 2011

始まりの前

Googleはプラットフォームになってしまった、環境になってしまったからすごく強いんだよ。
とか、アメリカは金儲けの仕組みつくるのがうまい、と。なにか皆が活動する前提のものを作る。

大前研一の本を読んでいた。毛沢東の一番の功績は土地を全部国の物だ!って決めちゃったこと、だと書いてあった。
立退き交渉で超苦労する都市開発も、農村まるごと引っ越させて商業施設作るのも、即行で完了することができる。
これもひとつの作られたプラットフォームなのだと思った。
かしこい。問題もあるけれど。

webだなんだ、盛りあがるずっと前から「プラットフォーム」的なる、
始まりの前を作る、仕事というか作業が存在していた。ということに気づいた

皿を売りたい時の写真のとりかた



料理がいいと思う。シンプルで端正お皿と生々しい日常の料理はコントラスト。