Thursday, January 17, 2008

一発のオマンコ



いまから20年ほど前に「一杯のかけそば」という小説が話題になって映画にもなった。
その小説を快楽亭ブラックがパロディにしたのが「一発のオマンコ」だ。
原作は、貧乏な親子が一杯のかけそばを3人で食べるというものだが、「一発のオマンコ」は貧乏な親子がすすきののソープランドで、3人で1人のソープ嬢を指名するという話だ。(quoted from here
とてもこの落語を聞いてみたいのだけど、その気持ちを我慢して、最近は上の写真のようなものをつくっております。その作品がやっと展示されます。

なんてうそで、本当は日記のタイトルは「僕の作品を展示します」でもよかったのだけれども、「一発のオマンコ」の方が多くの方の目にとまるかななんて考えたけど、内実オマンコ目当てでクリックした人なんか僕の展示なんて鼻くそほどにも興味がないだろうから土台展示に足を運ぶ人の数は変わらないなと思ったけど、やっぱり一人でも多くの人の「一発のオマンコ!(笑)」を考えるとやめることができませんでした。気分害された方ごめんなさい。

さて、ムサビで修士制作の展示があります。
学部の方も全員展示しているので、作品の数は膨大です。
おそらく多すぎて全ての作品をみることはできません。
1/25(金)から1/28(月)まで9:00~17:00で開いております。
僕は25日と26日に現地にいると思います。
自分の作品は9号館の地下大展示室というところにあります。

ムサビへは中央線国分寺駅北口からムサビ行きのバスで20分。
時間のある方是非いらしてください。
来られる方、連絡いただけると嬉しいです。

ムサビ卒展の詳細
http://www.musabi.ac.jp/kyoumu/gaku1/sotuseitenn/07WEB/mau.html




以下、作品の説明

ゼミで提起されたコミュニケーション上の概念「EMPTINESS」を起点に自分が始めた研究は、日常の視覚環境から何かをなくすという実験であった。具体的な作業は実に単純で、道路の交通標識や陳列された本など、日常の風景を写真に撮り、その中に存在する文字を消すのである。場合によっては窓やボタンなどのオブジェクトも消失させる。そうして出来上がったイメージはただ単純に「あるべきものの欠けた日常の風景」であるが、これが不思議と強い引力をもって我々の視線を引き込む。この研究に私は“SENSE OF ABSENCE”と名前を付けた。ABSENCEの文字通り「不在」という現象についての深奥な理解を目指す。我々はどのように「不在」を感覚し得るのであろうか。

主要素の「不在」によってそれ以外の「存在」が表舞台に立ち現れる。それまでバックグラウンドだったものが相対的に前へ押し出される。交通標識の文字が消え、その後ろにある真っ青な鉄板の面が異様な佇まいをみせる。ある人はこれをシュルレアリスム絵画のような歪んだ世界の風景と思われるかもしれない。しかしながら、そこで起きることは視覚的な「歪み」ではなくむしろ「純化」であるのだ。日常に配された雑多な情報の「掃除」であるという意味において。この掃除によって、表層を剥いだ生身の日常風景が目の前に顕れる。(文字)情報という衣服を脱いだ日常子(20・家事手伝い)のヌード写真。

ヌードなんて綺麗なものばかりでもなく、表面を剥いだ中身というのは意外と想像に難く驚かされることが多い。保健室にある人体模型を見るまでは誰も自分の皮膚の下にあんなグロテスクな世界が広がっているとは思わなかったはずだ。それを初めて見たときに感じるざわざわ感というのは、馴染みのものが急に遠く離れていってしまう焦りに近い。「はじめまして、日常」である。世界からたった一枚「情報のレイヤー」を無くすだけで世界はこんなにも変わってしまうのだ。

2 comments:

ma_ said...

作品いいね。
日常の風景を遠景で見ると、風景を構成するそれぞれの要素がお互いに関係し合っていて、存在理由がテキスト化されるんだけど(めちゃ簡単に「十字路と標識」、「神社と馬絵」とか)、フレームの中に収められている内容は日常の近景で、モノの肌理まで目で確認できるのに、個体特有の主張(情報)が取り払われていて、所在無さげだ。
存在する理由(DATEckが言う「情報」かな)が無いのに存在するみたいな感じ(←めちゃあいまいなコメントでごめん)。

「ヌード」いいと思う。

修了展行けそうになくて残念!

da!da!da!datech! said...

んーありがとう。こんなにすくい上げてもらえてうれしいです。

>日常の風景を遠景で見ると、風景を構成するそ
>れぞれの要素がお互いに関係し合っていて、存
>在理由がテキスト化されるんだけど

GUTAI じゃないけど、日常の肌理というか素材感というか、ものそれ自体への眼差し。そういうものがとても面白くて。最近流行っている工場萌えってのもその亜種なんじゃないかと思えてくる。お祭りみたいに大げさに演出するのでなく、日常に在る非日常というか。トマソンもそういう意味でいったら、、、、

なんていう風にいろいろ引用しまくっているうちに、表現したいことがまとまらなくなった(言葉にできるとかじゃなく)のが、だめです。まーいつもギリギリ絞り出してるから元々そんなものないんだけど。もう少し快楽的でありたい。